こんにちは、たくまるです。
3才と1才の娘を育てつつ、本業と合わせラジオ発信などをしています。
今回は、"イマ"の気持ちをどうしても残しておきたくて、この記事を走り書きしました。
参考になることはないけれど、お付き合いいただけると嬉しいです。
おじいはもう、長くないかもしれない
ある土曜日の朝、ふだん連絡のない母上からのLINE。
「おじい(母方のおじいちゃん)の体調が悪い、、、もってもあと1ヶ月だ」というショッキングな内容。
おじいは今年で97才。治ったとはいえ、5年前に胃がんの手術もしていた。
(会えるのは、今日が最期かもしれない・・・)
そう思い、予定していたスケジュールをすべてキャンセルし、東京・吉祥寺にある祖父の家に子どもたちを連れ急いで車に飛び乗る。
僕の住んでいる千葉県からだと、どれだけ飛ばしても車で1時間半ぐらいかかる。家に近づくにつれ、僕の顔がこわばる。
(まだ、だいじょうぶなのだろうか・・・)
家に着くと、迎えてくれたのは「おばぁとヘルパーさん」
5日前までは、いつもどおり元気でご飯も食べていたけど、急に動けなくなったそう。
挨拶もそこそこに済まし、おじいの寝ているベッドルームへ入る。
寝室には、ベッドに横になっているおじい。
いつも、強くたくましいおじいが、目をつむりベッドに横になっていた。
その光景を見ただけで、すでに泣きそうだった。
去年の夏は、あんなに元気だったのに。。。
妻や子どもたち、そして僕が会いに来たことを伝えるも、聞こえているのか分からない様子。そのおじいの姿を見ると、元気だった頃の記憶がフラッシュバックしてくる。。。
人は死ぬ直前まで、「耳は聞こえている」らしい。
でも、おじいからはそんな様子も一切感じられなかった。
反応がないのだ。
そう思っていると、一瞬カラダが動いた。
(さっきまでは、寝ていただけだったようだ。。。)
去年会いに来たときは、1才になる娘をおじいに抱っこしてもらったんだよね。
娘がギャン泣きしていた姿が思い浮かび、涙が溢れる。
僕の涙が止まらなくなったので、一旦リビングに戻る。
すると、3才の長女が僕が泣いているのを見て無邪気な顔で、尋ねる。
「なんでパパは泣いているの・・・?」
「おじいに逢えたのが、嬉しくてさ。」
そうなんだね!納得した様子で、楽しそうにおばあとの話しに戻る娘。
一度、リビングに戻り、いままでの話しをきく。
「100才まで生きても良いかな・・・?」そう聴いてきたみたい。
すごい質問だな、と思った。そして、おばあの答えに泣いた。
そしてさらに、「でも、そうしたら、おばあの自由なじかんが短くなっちゃうね。」
たしかに、入院やデイケアを嫌っていたので、おばあは相当大変な思いをしていたのだ。
でも、そんなおじいにおばあはこういった。
「いいわよ。」
「もう5年もまともに外出てないんだから笑。100才でも、102才でも良いよ」って。
「人生に、一片も悔いはない」って常日頃から言っていた。
それでも、経験をしたことのない「100才」を目指してみたいというコトバ。
生きるチカラが本当にすごいんだと思う。
おじいに伝えたこと
たくさん話したけど、大きく3つだった。
- 可愛がってくれた感謝
- いまも、心から尊敬している
- おじいが大好きで、愛している
可愛がってくれた感謝
普段、誰にでも言うようにしている"ありがとう"だけど、なんだか、言ってしまうと、もう会えなくなる気がしたんだよね。
そう思って、この言葉はあえて言わなかった。
そうじゃなくて、「小さい頃から、おじいが大好きだった。会うのがいつも楽しみだった」そんな気持ちを、初めて伝えたと思う。
おじいは嬉しそうに、目を開けて、腕を握り返し笑ってくれた。
僕は兄弟が多い。僕を含め4人もいる。
そのなかでも、特におじいやおばあに、特別にかわいがってもらったのは僕だったと思う。年末年始や、夏休み。
いつも、東京のおじいの家に泊まりにくるのが楽しみだった。
僕が好いているのを知っているからか、祖父母も僕を特別にかわいがってくれた。
父や、母のように思っていたぐらいだ。
冬物のコートを準備していた
嘘だと思うかもだけど、いまや寝たまま、言葉を出すのはムズカシイ状態だけど、先週には「脚立に乗って、冬物のコートを準備していたのだ。」
「僕でも、出すのが大変なのに、、、本当にすごいよ・・・」そんな話しをした。
だって、97才のおじいちゃんだよ?
誰かにやってもらっても良いわけじゃない?
それを、おばあが大変だろうからって、脚立に乗ってやったって、、、すごすぎない?
おじいが教えてくれたこと
無償の愛、だと思う。
新卒で働き始めたころから、おじいは必ず言ってくれた言葉がある。
「なにか困ったことがあれば、必ず言いなさい」だ。
具体的なことは言わない。
ご飯とか、お金、とかそんなことは一切なし。
ただ、この一言を必ず言ってくれた。
だからこそ、(すべてにおいて)気にかけてくれたおじいが僕は、大好きだった。
「頼れる存在がいてくれる」そう思うだけで、本当に有り難かった。
そして、いま僕らがすべきなのは、「いまを全力で生きること」だと思う。
まだ書きたいことはいっぱいあるけど、今日はこの辺で。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。